2011年6月20日月曜日

北杜夫 『幽霊』

ある青年の魂の遍歴を綴った回想録。過去を探り己を見つめていく記憶と記録の旅路は、文学的というより哲学的で、読みながらページをめくる手がとまってしまう。読み手を、思案へと引っ張りこむ小説だ。

作者の過去を読み進めていくと、そこに「死」の影響を強く感じる。死への親近感は、そのまま儚いもの(特に蝶への偏愛)への憧憬、共感へとつながる。その魂が大自然と融合することで、存在の輪郭を浮かび上がらせていく課程を描いた心象風景は、非常に美しい。
また、極めて内面的な己の感情を、的確に表現できる技術に恐れ入る。それでいて、テクニック上位でなく、抒情を失っていない。だからこそ素直に感じ入ることができる。

「幽霊」は北杜夫の処女作だ。わずか23歳の時に書き上げたこの長編は、青春期特有の初々しさや、ちょっとした甘えを感じさせる。若者特有の繊細ゆえの自己本位とでも言おうか。それがとてもみずみずしく、己に真っ正直な分冷徹で、今の私のコンプレックスを刺激する。このような「奔放で真摯なわがまま」を発揮できる、感性と若さと勇気がほしい。

最後に、有名な冒頭分から一部抜粋。ここから、作者の“心の神話”が語られていくのだ。

人はなぜ追憶を語るのだろうか。どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見えるだが、あのおぼろげな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。そうした所作は死ぬまでいつまでも続いていくことだろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴を開けている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気付いて不安げに首をもたげているようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持ちがするのだろうか。

いつ読んでもギクリとする。この不安感を、忘れないようにして生きていきたい。