2010年12月20日月曜日

川端康成 『山の音』 

尾形信吾(62歳)は、最近、嫁の身体が気になる。丸みをおびたそのラインは、さながら烏瓜の蔦のよう。
近付きつつある死を前に、信吾は自らの性を見つめる。
その赤裸々な告白は、直接的ではなくとも十分にイヤラシイ。 老人とは、かくもこんなにも性について考えているのか。
信吾は、嫁の姿にかつての初恋の相手である、妻の姉を思う。そして、嫁の旦那である、自分の息子には前々から「女」がいるのも知っている。たぶん、だから、余計に嫁が可愛い。
そんな嫁が言う。 「別れても、お父さまのところにいて、お茶でもしてゆきたいと思いますわ」 。夢のような可愛さだと思う。

なんだか、昼メロ的内容のような紹介になってしまったけど、それを感じさせないのがこの小説の凄いところ。 この爽やかさ、清潔感みたいなものは、書く対象が「社会性」とか「社会性から影響されるもの」とは切り離され、「女性そのもの」を書くことに終始しているからか、と思った。女性のしぐさ、顔、服装、髪型、しゃべり方・・・それのみに迫る。だから、血なまぐさくなくて、不思議と爽やか。女の美しさをとらえた言葉が、とても感覚的で、まるで美しい短歌の世界のよう。
これって、同じく川端の「眠れる美女」などでも同じ感覚。
こういう小説は、こちらも紡ぎだされる言葉に酔いしれ、広がる世界観を堪能するだけでいいと思う。余計な社会的観念はいらない。

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