2010年12月19日日曜日

太宰治 『津軽』

自らの出生のルーツを探るため、津軽へと旅立つ太宰の回想録。

この小説の最大のクライマックスは、育ての親たけと再会する場面。
たけに会いたい、会いたい、と気持より先に足が動いてしまう。そして、感動的な再会を果たすところ。


 ―平和とは、こんな気持の事を言ふのであらうか。もし、さうなら、私はこの時、生れてはじめて心の平和を体験したと言つてもよい。―
 
大袈裟なくらいの言葉で、太宰はその感動を表す。その仰々しさは、思わず不安を覚えるほどで、グイグイとクライマックスまで気持ちを引っ張っていってくれる。
それまでの紀行文的な調子から一変しての物語的な感情表現は、多少通俗的であっても、感動的で心地良い。

でも、なんとこの再会シーン、実はフィクションが半分くらい入っていると知ったときは驚いた。そして寂しくなった。実際はそこまで感動的でなかった再会シーンを、こうもドラマティックに書くとは。熱海の旅館で豪遊してお金を使い果たした太宰は、「東京に金を借りてくる」と、その場に一緒にいた友人を残して、旅館をあとに。しかし、待てど暮らせど帰ってこない。たまりかねた友人は旅館の主人を見張り役につけ、太宰を探しに東京に行くと、なんと、太宰は呑気に井伏鱒二宅で将棋を打っていたという。「走れメロス」を書いた作者とは思えない所業。なんとも寂しい話だ。彼の中の安心できるもの、愛せるもの、懐かしいもの、素直なもの、そういうものは小説の中にしかなかったのかな。実生活においては、真に欲する行動が出来ない。道化のようなやり方でしか、世間と接せられなかった。そうして溜まっていった嘘や虚構の重さを考えると、罪悪感やら恥ずかしさやら何やらで、死にたくなるだろう。

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