2011年3月21日月曜日

武田泰淳 『富士』

異常と正常の境界線の曖昧さを描いたのだろうか。しかし、そこにある「正常」は十分「異常」だったし、「異常」もまた、そのあまりに説明的(感情的?)な内的心理への述懐ゆえか、なぜか理解しやすいものとなって浮かび上がってきた。

この小説は、太平洋戦争末期の精神病院が舞台。そこに勤務する医師の目を通して、異常者たちの精神世界を覗く。
医師は、患者側に飲み込まれまいと必死になる。それこそ鋼鉄のような精神でもって患者に向き合わなくてはいけないのだけど、そこはやはり、精神対精神の戦いである以上、どうしても心の奥底、脳みその中心部まで神経をピリピリさせて臨まねばならないから、時におかしくなる。

患者も医師もひたすら生臭い。その生臭さは、「人間らしい」という感覚を呼び起させ、親しみまでもててしまう。だから、精神病の話なのに理解しやすい。そこで、ついつい思ってしまう疑問、「ほんとに精神病者なの?」。だってあまりにドラマティック。

ここでの登場人物は、なんらかのメタファーのようだ。記号化された人物が、記号化された行動様式をとっているような・・・。うまく配置された人物たちが、『人間とは』という問いに対して、ひとつの意志を共有して向かっていく、という構造が背景に見えてくるので、私にとって、この小説は「群像劇」のようだった。舞台を見ているような感覚に近かった。

最後はすべてが入り乱れる「祭り」へと突入。このあたりの事件の連続は面白かった。

この小説の一番スリリングな場面は、やっぱり最後の場面だと思う。こういう結末を持ってこられると、これだけ分厚い本でも、印象に残りやすい。

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